新宿区内を散策して集めた「タイムトリップ」の記事です
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タイムトリップ
忠臣蔵と新宿 11月/2001年 by 清水裕二
「高田馬場の仇討ち」(1694年)とも言われる事件は、堀部安兵衛の名を高めた事件としてあまりにも有名です。しかし、有名が故にさまざまな脚色が施されています。
まずは一般的な伝承から紹介します。当時は、中山姓だった安兵衛が、叔父菅野六郎左右衛門の果たし合いを助太刀するために、八丁堀から高田馬場まで(約キロ)走って現場に急行しました。途中、酒屋で一升酒を一気飲みし気合いを入れて現場へ。だが、果たし合いはすでに終わり、叔父は虫の息状態でした。そこで安兵衛一人で相手16名に斬りかかろうと、襷を掛けようとしたが襷がなく、傍にあった縄を使おうとしました。
すると若い娘が、しごき帯を解き「仇討ちにおなわは不吉です。」といい、安兵衛に手渡しました。そこで彼は、帯を襷としてバッタバッタと敵を切り倒し、見事叔父の敵討ちを果たしました。
そして、この彼女が、浅野家家臣堀部弥兵衛の娘お幸です。この出来事が縁となり、安兵衛は堀部家に婿入りした。その後の話は、皆様のご存じのとおりです。

さて、まず走り始めた場所ですが、この時安兵衛は、加賀町にいた武家に奉公に出ていましたので八丁堀ではありません。ですからはしった距離は2キロぐらいとされています。当時の高田馬場は現在の西早稲田三丁目にありましたので、このくらいの距離ならばなんとか走れたと推測されます。
また、安兵衛が大酒飲みとして有名なので、一升酒飲んだという話もさもありなんと信じられ易く、実際にこの時飲んだ枡が、「小倉屋」(夏目坂下)と言う酒屋さんに現在も保管されています。 けれども、『東京伝説めぐり』(戸川幸夫)の中で、戸川氏は、「だれが命がけの試合の前に一升酒を飲むヤツがあるものか。」と否定しています。そう言われてみるとそうかなと感じてしまいます。
この酒屋さんは、もう一つ歴史的なエピソードを持っています。『硝子戸の中』(夏目漱石)というエッセイ集の中で紹介されています。このエッセイ集は漱石の晩年に書かれた物で、漱石の回想や日常などが描かれています。その中で、夏目家(この地域の名主)に泥棒が入ったという項目があります。漱石の誕生前後、幕末の頃です。泥棒らは漱石の父に金を要求するも、父は金は無いといったが泥棒らは承知しなかった。その理由は、「今角の小倉屋という酒屋へはいって、そこで教えられて来たのだから隠してもだめ」ということでした。仕方なくお金(五〇両ぐらい)を差し出し、泥棒らは去っていったとのことです。
一方、酒屋の方は、お金の無いの一点張りで被害がなかったと記しています。さすがに商人はしたたかというところでしょうか。
次に、決闘の場面も少し史実とは違います。実際には闘いに間に合っています。叔父は傷をを負いながら奮戦中でした。叔父は、決闘終了後になくなります。そして、帯を渡す娘お幸も前出の戸川氏によると、この時4歳ということですので、恋愛関係にはなっていません。斬りつけた人数も3名くらいとされています。さらに、安兵衛が剣術を習うのは、この事件の後から。この時の剣術師範の仲介で堀部家に養子に行ったというのが真相のようです。有名な話には、尾ひれが付きやすいということなのでしょう。
「忠臣蔵」という話自体も、謎だらけです。特に、「なぜ、吉良さんは斬られたのか?」という疑問は現在も不明のままです。
次回は、とかく悪者にされている吉良さんのお墓を紹介します。意外な忠臣蔵の側面が見えてきます。