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新宿区内を散策して集めた「タイムトリップ」の記事です
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タイムトリップ
新宿タイムトリップ 「逢坂」 (9月号/2001 清水裕二)

 「これやこの 行くも帰るも 別れては
        知るも知らぬも 逢坂の関」 蝉丸
 百人一首に収録されている有名な歌です。この歌の「逢坂」は近江の大津にあるのですが、同名の坂が新宿区(船河原町)にもあります。「逢坂の関」は歌枕として使用され、恋人同士が「逢う」の意にかけて多く用いられます。新宿の「逢坂」も男女の出会いと別れの悲話の伝説があります。
 時代は奈良時代にまで遡ります。小野美作吾という人物が大和より武蔵に国司(県知事)として赴任して来ました。
 当時の武蔵は都の大和から見れば、辺境の地で面白みのない場所とされていました。美作吾も早く任期を終え都に戻りたいと思い、悶々とした日々を過ごしていました。とある日、彼は領内の視察に出かけ、ついつい遠出して船河原村までやってきました(当時の政庁は府中)。
 たまたま、軒を借りた家に「さねかづら」という美しい娘がいました。このような片田舎に、都の美女にもひけを取らない女性がいたことに彼は大いに驚き、その日から恋に落ちてしまいました。彼は、しばしばこの地を訪れ、逢瀬を楽しみました。
 しかし、国司には任期がありました。彼は、今でいう国家公務員です。お上の命令は絶対です。ならば、彼女を一緒に大和に連れ帰ればいいのではと思いますが、エリート貴族と一農夫の娘、とうてい結ばれることなく引き裂かれました。
 だか、彼は都に帰ってからもさねかづらを思い続け、ついには病で倒れてしまいました。一方、彼女も美作吾を忘れることができず毎日泣き暮らしていました。「いつか迎えに来てくれる!」その思いが彼女の支えでした。
 ある夜、彼女の夢枕に老人が現れ「明日の朝、彼が近くの坂にやって来る!」と告げました。彼女は目覚め、坂に行くと朝靄の中から愛しい美作吾の姿が現れました。彼の足下に行き泣き崩れて、ふと彼女が我に返ると彼の姿が消えていました。辺りを探してもどこにも彼を見つけることはできませんでした。
 探し疲れて彼女が家に帰ると、大和よりの使者が彼の死を伝えました。彼は、亡骸は船河原村に埋めて欲しいと遺言したが、そうはできないので若草山の麓に「武蔵野」と名を付けて葬った等々の事情が語られました。
 話を聞き終えた彼女は家を飛び出し、近くの池に入り死んでしまいました。このような出来事があってから、この坂を「逢坂」というようになったとのことです。
 今でも、意外なほど人通りが少ない坂です。見下ろすと中央線が見え、多くの電車が往来しています。古代のロマンスを偲ぶにはなかなかいい場所です。
 (飯田橋の家の光会館の西辺りで、外堀通りに降りていく坂です。)