新宿区内を散策して集めた「タイムトリップ」の記事です
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タイムトリップ
新宿タイムトリップ(8月号/2001)「淀橋の伝説」 by 清水裕二
「淀橋」と言う名はよく耳にします。昔は淀橋区が存在していましたので、淀橋浄水場などという施設がありました。今でも「淀橋」の名を冠した施設があります。しかし、地図上では、この地名は存在していません。消えた地名の一つですが、「淀橋」と言う橋は現存しています。新宿区と中野区の境、神田川の上に架けられています。短い橋ですが味のある石造りで「よどばし」と名が刻まれています。さて、この橋の名が「淀橋」の由来なのですが、何故ゆえこの名が付いたのでしょうか?諸説あるのですが、私は徳川家光命名説を採用したいと思います。
新宿の各地には、将軍様が狩りをしたときの出来事記念する遺物・伝説が多くありますが、この伝説もその一つです。さてさて、家光が狩りの帰りこの橋の近くで休憩をしていたところ、家光が「この橋の名は何と申すのじゃ?」と家臣に尋ねたところ、「はあ!姿見ずの橋でございます。」と答えたところ「変わった名じゃの由来は何じゃ?」と家臣の口から以下のような伝説が語られたと言うことです。
かって、中野長者鈴木何某という者がいて巨万の富を一代で稼ぎました。ところがその長者は、財産を賊に盗られるのが怖く、夜な夜な、下男を連れて地中に埋めていました。長者は埋めた場所が露見することをおそれ、その下男を神田川に架かる橋から突き落として殺してしまいました。一人また一人と下男が消えて行くので、いつの頃からか「姿見ずの橋」と言われるようになりました。しかし、因果応報で長者の娘は結婚式の日に呪われて大蛇と化して十二社の池に飛び込み死んでしまいました。そこで、長者は今までの悪業の報いと感じ苦悩していました。そこに、とある高僧が現れ娘の魂を救い、昇天させました。この出来事を境に長者は改心し、信心深くなり善人となりました。
家光は、話を聞き終え「やな、伝説じゃの。ん〜そうじゃ、橋の名を変えよう!そうすればこの土地も縁起が良くなるだろう!この辺りは淀川の風景と似ているので、淀橋としよう!」ということで「淀橋」と言う名が付いたというお話です。この話は、後世の創作とされていますがなかなかよくできたものです。この長者の墓は中野区本町の成願寺です。