新宿区内を散策して集めた「タイムトリップ」の記事です
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タイムトリップ
都庁前駅 −大江戸線散策- 3月号/2001 by 清水裕二
 都庁前駅の上は新宿中央公園です。高層ビル街に囲まれて、現代的なオブジェ
が置かれ、歴史とは無縁な所という感じの公園です。しかし、この公園の一角のタイムトリップできる場所が熊野神社です。境内は、新宿ミニ博物館になっていて、江戸時代のこの界隈の様子を偲ぶことができます。
 この地域には池や滝があって、その周囲には茶屋が建ち並んでいた一大景勝地
でした。今では想像もできないくらい変貌してしまいました。けれども、この境内に来ると不思議と安らぎを感じます。ミニ博物館ですからさまざまな文化財があり、ちょっとした歴史散策ができます。パンフレットには書かれていませんが、ある人物の石碑と胸像が熊野神社の境内の片隅に置かれています。
 その人物とは、清水長雄です。彼は、戦後の東京復興時に首都の発展を見越し、この新宿を副都心にする計画を提唱した人物です。彼の名は一般的な歴史の本にはありません。私もこの胸像の下につけられている「感謝状」というプレートを見て彼の業績を初めて知りました。
 プレートは、年月を経て文字が読みにくくなっていますが、彼の経歴と業績が記されています。彼は、明治年生まれで、山梨県北巨摩郡明野村出身。上京して官僚となり、戦後は都議会議員として活躍し、最終的には都議会議長を務めたとなっています。新宿を副都心にする計画を提唱し、実現した人物としてこの中央公園の熊野神社に、業績をたたえるために胸像が建てられているのです。
 彼は、新宿をここまで発展させた功労者なのです。今、新宿は新都心といわれ、巨大な都庁舎が建ち、ますます発展しています。この街の発展を彼はどう感じているのでしょうか?神社の境内の一番奥の片隅に、ひっそりとたたずむ胸像が教えてくれた新宿の歴史でした。
新宿タイムトリップ 5月号/2001 by 清水裕二
 私は、仕事柄子供たちと話をする機会が多い方です。何気ない会話から思わぬ史跡に出会います。「公園の中にお墓みたいのがあるの。」から市ヶ谷監獄のことがわかり、「お化け屋敷を探検してきたよ。」から旧小笠原邸の発見。などなど、子供らの奇心旺盛な行動が私の一助になってきました。今回も、こんな会話から始まりました。
「こら!遅刻だぞ!」「だって、時計のない場所で遊んでいたんだもん。」「そこはどこ?」「池、鯉のいる大きい池。」「何て言う名?」「カッパ池」「え!」と私は絶句しました。かって、片町に河童池があり、その名残が合羽坂の名となっています。河童池が蘇ったのかと思いました。しかし、そんなことはあり得ないので場所を詳しく聞くと「お化けビルを横にはいるの。」とのこと。お化けビルとは荒木町の「バブルの塔」で、何しろそのビルの近くと言うことでした。
翌日、早速取材に行きました。住宅地図を見ても池らしきものなく、お化けビルが唯一の目印でした。池だから低所にあると見当を付け、ビルの道路を挟んだ向かい側を調べました。うまい具合に下り坂を発見し、道なりに下って止まった先に正しく「池」がありました。思わず叫んでいました。「池だ!池だ!」と。こんな所に、周囲約十メートルの本格的な池があるとは知りませんでした。そこには、荒木町町会が作成した手書きの案内板がありました。
 この案内板によると、かって徳川家康がこの地の井戸で馬の策を洗ったので、その井戸が「策の井戸」、この井戸水が滝となって流れ込んだので「策の池」となったそうです。ここの滝は、「十二社の滝」「目黒不動の滝」「王子の名主の滝」と並び江戸の八井の一つとして庶民の行楽地として賑わっていたそうです。その後、美濃国高須藩藩主松平摂津守義行の屋敷となり、明治に入り町の所有地となりました。町会は滝の記念として滝壺周辺を保存し現在に至っています。よく残したものだと感心しましたが、池の水が濁っていることと、柵がないことは残念でした。由緒ある場所なので、是非整備してもらいたいものです。この池がいつまでも、子供らのよき遊び場所あり、憩いの場であって欲しいものです。