新宿区内を散策して集めた「タイムトリップ」の記事です
入会申込
E-mail:
honbu@shinjukuminshou.org
14
タイムトリップ
神田川散策2  関口芭蕉庵
2002年6月 by清水裕二
 芭蕉庵といえば、深川の芭蕉庵を連想する人が多いと思います。小さな歴史事典などでは、ここの存在にはひとことも触れられていません。さらに、芭蕉の伝記などを読んでも、34〜37歳くらいの間に、神田川改修工事にかかわり、当地に滞在したというくらいしか書かれていません。では、ここで芭蕉は何をしていたのかは全く不明です。現場監督、一労働者、書記官など諸説があり、史跡に指定している文京区でさえも、「神田川改修工事に何らかの形で参画」とお茶を濁すほどです。
 有名な人物なのですが、芭蕉は「謎」の多い人物です。特に彼の23〜37歳の期間(有名な俳人になる前)は、彼がどのように生活していたのかが不明とされています。伊賀出身なので、芭蕉は実は忍者だったといわれるのも、彼の人生に謎の部分が多かったからです。

 謎とされる期間の概略は以下のとおりです。
 23歳の時に主君に死なれ、彼は武士をやめ京都で俳諧師になったとされます。俳諧師といってもこの時代ではアウトロー的存在で、今風に言えばフリーターといったところです。
 29歳で江戸に上京し、俳諧のプロ宗匠を目指しますが、生活は芳しくなく、こんな句が残されています。「富家は肌肉を喰らい、丈夫は根菜を喫す、予は乏し。(金持ちは肉を食べて、志のある丈夫は根菜を味わうというが、私はただ貧乏なだけだ)」〔詞書〕、「雪の朝独り干鮭を噛得たり」(句)。芭蕉の生活の様子が偲ばれます。
 こんな彼の生活を楽にするために俳句仲間が、神田川改修工事の仕事を紹介したというのが定説です。でも私は、四谷伊賀町に住む伊賀衆が関わっていたのではないかと考えます。
 いい年をしてふらふらしている芭蕉を、見かねてこの仕事を与えたのではないのでしょうか? 真相は闇の中ですが、この神田川改修工事をやめ、深川に定住してから真の松尾芭蕉が動き始めます。
 41歳『野ざらし紀行』、44歳『笈の小文』、45歳『更級紀行』、そして45歳『奥の細道』の旅。というように、関口での生活後に各地に旅をしています。いったい関口で彼は何をやっていたのか?これに関して、次号で持論を展開していきます。