2001年3月号に載った「おじゃまします」の記事
新宿商工新聞
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歌舞伎町料飲支部  ぶうげん 伊藤 政子さん
 バンクーバーの家々はどの家も大きく庭も広く、広い庭には芝生が敷きつめられ色とりどりの奇麗な花が咲き乱れていました。日本から寄贈された桜並木の緑とのコントラストが鮮やかで、上空から眺めるその様は格別素晴らしく、まるでおとぎの国にでも来ているような感動を覚えました。
 感激のあまり、Oh! Fantastic! BeautiIful!などと片言の英語で感喜の声をあげていたその時です。先ほどの渋い声で「操縦してみないか?」「えツ操縦ですか」と、私は驚きましたが好奇心旺盛なので、すぐさま行動にでていました。私は10歳ごろ、沖縄の実家の近くにあった演習所でヘリコプターに、そして14年ほど前セスナ機に乗った事があり、「妙な自信?」を感じていたのかも知れません。
 しかし、いざ操縦桿を握ると、緊張して体がこわばっていくのがわかります。機長の指示に従い操縦桿を上に下に、右に左に動かしても上手くいきません。「高度を上げろ!」「高度を下げろ!」飛行機のごう音とともに機長の大声が飛び交う。ゆっくりハンドルを動かせと指示されても、ゆっくりがどの程度のものか、皆目見当がつきません。高度を下げた時、地上の景色がみるみる目前に迫り、「あツ落ちる落ちる」と叫ぶがどうにもならない。あわやこれで人生最後かと本気で思いました。雲の中に入ってしまい何も見えない。後ろの席で歓喜の声をあげていた我が友人の声も聞こえない。きっと恐ろしさのあまり冷汗をかいていたのでしょう。少し馴れてくると、立派な操縦士気取りになってくるから我ながらあきれます。右に左にターンすると、気持ちが良くカッコ良い、自ら「ターンしてもいいですか」と聞く始末です。そんな私に機長は快くOKをだしてくれました。
 後で聞いたところによると、私が操縦している間は、管制塔との交信のスイッチを切っていたとのこと。「管制塔に帰ったら何を言われるか心配だよ」と、話してくれた機長の横顔は優しかった。私の操従は飛行ルートを大幅にそれていたそうです。歌舞伎町のあくせくした日々を忘れて、二度と体験できないであろう貴重な操縦体験を満喫して帰途につきました。
 先行き不安な現実の生活に戻りため息がでましたが、「人生苦労はつきもの」と自身に言い聞かせ、次なるチャレンジを見つけながら、この歌舞伎町で人生を楽しみたい。
(歌舞伎町料飲支部所属「ぶうげん」の伊藤政子さんのおたよりを紹介)
「どう、操縦してみないか?」
 去年の夏(2000年)、カナダ・バンクーバーの上空でセス
ナ機の機長川村さんから唐突に声をかけられました。川
村さんは私の友人の従兄弟、カナダ在住三十余年のベ
テラン機長です。
 友人と私が川村ファミリーから英語のレッスンを受ける
ため、川村家に滞在していた時のことです。